平方録 2

何気ない日常で出会い 感じる「へぇ~!」や「ほぉ~‼」を綴ります

瀬戸内あちこち その4

新居浜駅9:17発高松行き特急いしづち10号で高松へ
車両はアンパンマンが車体全体に描かれた8000系特急電車

旅の道連れはこの日も美しい多島海 (香川県多度津付近の讃岐の海)

宇多津付近で瀬戸大橋を渡って岡山へと向かう線路と別れる
遠方に瀬戸大橋の吊り橋の橋脚が並んでいるのが見えた

 

10:39高松駅到着
隣のホームに8600系の松山行き特急電車がいた

こちらが11:10発徳島行き特急うずしお11号の2700系特急ディーゼル

旅の4日目(11月19日)と5日目が今回の旅行の主目的
現役時代、東京でそれぞれの組織を代表して"江戸家老"を務めていたころ、同業者のよしみで互いに情報交換をして仕事の効率を上げ、時には親睦を重ねて仕事をこなしてきた
江戸勤務を終えてそれぞれの国許に戻ってからも、交流は続き、やがて夫婦で年に1度、それぞれの「お国」を尋ね、美味しいものを食べさせてもらい、風光明媚なところに案内してもらって旧交を温めている
しばらくコロナ禍で休止せざるを得なかったものの
去年は鹿児島に2泊してたっぷり旧交を温めた
今年は熊のいない穏やかな四国・徳島というわけ

今年は残念なことに体調を崩すメンバーが複数出たりして集まったのは4組8人の夫婦にとどまってしまったのが寂しくもあり、残念だったが、寄る年波もあり、致し方ないところ
午後1時に徳島駅に集合し、借り上げのマイクロバスで四国八十八カ所霊場巡りの出発点である鳴門市の第一番札所・霊山寺
山門から中へ ここへは10年余り前に前に1度来たことがある

大師堂

多宝塔

本堂内部

たくさんの明かりが吊り下げられた内部は、厳かでありながら親しみやすさのようなものを感じさせていた
お大師様の功徳か、はたまたぬくもりか

鳴門市にあるドイツ館
第一次大戦下、中国・青島でドイツと交戦した日本は多くのドイツ兵を捕虜にして日本に連れ帰り、日本各地に収容した
その収容施設の一つがこの鳴門の「坂東俘虜収容所」だった
ここが有名になったのは1000人を超える捕虜を収容しながら、当時の責任者である松江豊寿大佐は捕虜たちの人権を尊重するとともに、捕虜たちの権利をも尊重
その結果、捕虜たちが誇りをもって生活できるように一定の自由も与えたことから「模範収容所」として世界的に評価されることになった
そうした運営の下で、もともと職業軍人ではなく、徴兵された兵隊たちは徴兵前の日常で働いて身につけた技術や技を持ち寄って、収容所暮らしを豊かなものにしていった
一例をあげればシュトーレンづくりも日本ではここから始まったと言われているくらいだし、何よりすごいのはベートーベンの第9交響曲を合唱付きで演奏した日本で初めての場所となったことだろう
不足する楽器は手作りしてまで用意したというのだからドイツ人の粘着気質というか、技術力の高さ、ものづくりに対する姿勢は唖然とするばかりだ 見事というほかない
それも人道主義的な考えから捕虜を人間として扱った松江所長の姿勢によるところが大きい
その奇跡の捕虜収容所の資料館がこのドイツ館である
偉い人物がいたものだし、いろいろ心にしみるものがあった

ドイツ間のおあとは徳島市に戻り「阿波踊り会館」へ

何をいまさら…と思ったが

専属の踊り子さんたちの動きはさすがに見事

そして観客は舞台に引っ張り出され「身振り手振り、手足を動かしてみてください」と言われ、不承不承にやってみた
手を頭の上にまっすぐ伸ばし、ヒラヒラ動かしたのだが、それが案外疲れた
足はガニ股にさえしておけばそこそこ様になるような気がしたが…
そもそも阿波踊りを見に行ったりはしないし、ましてや踊りの輪に加わるなんてありえない

まぁ、この人たちの踊りはさすがにリズムに乗って見事でした
このあと、メーンイベントの夕食会へ
鳴門海峡の荒潮で育った身の締まったタイを中心にした刺身がとてもおいしく、昔ほどではなくなったが、酒もそこそこ進み、積もる話に花を咲かせたのでした
タイは刺身にとどまらず焼いたものや分厚い身の煮つけまで出た
タイの煮つけは生まれて初めて口にしたが、「へぇ~」「ほぉ~」という感嘆符が飛び出るくらい美味しいものだった♪